自己紹介その2〜生い立ちから現在まで〜
こんにちは、最近ものすごく暑いですね。
街を歩いていても半袖、クールビズをした人々をよく見かけるようになりました。
前回「自己紹介とブログ開設のワケ」という記事を書かせていただいたのですが、今日は自身の生い立ちについて過去を顧みながら書いていこうと思います。
他人の人生について興味ないかもしれませんが、必ずどこか共感できる節があると思います。
どういう人生を歩んできて、なぜ迷子状態に陥ってしまったのか。
自分でも理解したいし、他人にも知ってもらいたくて。
ただこういうことがあった、だけの事実確認では経験として何も生かせられないので、改善点を見出しその上で未来に繋げていく作業ができたらなと思います。
大きく分けると3つになりました。 ↓ 以下より
幼少期〜小学校
1996年、広島県生まれ。
2、3歳頃までは山奥の田舎で過ごしました。
その影響あってか、自然・和食・和菓子がむっちゃ好きになりました。
長男ということもあり、何不自由ない生活を送っていた気がします(覚えていない
幼稚園・小学校は転勤に伴い、東京へ。
この頃から習い事(?)として、英語や書道、野球に水泳など本当に多くの経験をし
てきました。水泳はなぜやってたか、不思議でしょうがないです。
でも小学生の時、調子に乗って荒川(埼玉県及び東京都を流れる一級河川)に転落
し、溺死しそうになった経験はあります。
足を川底に引っ張られる感覚があり、本当に怖い思いをしました。
また当時は、家族で休暇は絶対どこかへ行くという習慣が浸透していました。
今でも休みに家にずっといるとなると落ち着かないです。
小学校生活は可もなく不可もなく、でした。小4の時に飼育係やってて、ウサギの可
愛さに目覚めた頃でもある。
友人関係はトラブルなく、平和でした。
僕はクラスの副リーダー的なポジションに立つことが多かったせいか、責任転嫁やあ
らゆる批判を回避したりという特殊能力が付きました。
小学校5年生の夏に広島に帰り、そこから受験勉強に努めました。
小学校でよくやるカラープリントのテストは満点がほとんどでしたが、受験レベルと
なると全くわかりませんでした。
「俺はできるはずだ…」というプライドあってか、塾の宿題は答えを見てわかったフ
リをする始末。結局県内の(自称)進学校に合格し入学。ここから波乱万丈の中高時
代が幕をあける。
中学高校
今までの人生の中で最も影響を及ぼしたであろう時期、中高時代です。
自転車で20分くらい毎朝通っていました。(最近運動不足
中学は卓球を何故かやり始めました。。最初はモチベが高く練習もしていたのですが
しだいにしなくなり、最終的に『卓球野球』なるものをやる始末。
勉強は中の下といったとこでしょうか、赤点を取ることは一度もなかったです。
さてさて、一番言及していきたいのが友人関係です。
様々な経験を経て、日常生活における「居場所」の重要性や受け流すべきものそうで
ないものの選別を行うといったことが身につきました。
どちらの立場にも立てたからこそわかること、人間に対して懐疑的な心を持つといっ
たことができるようになりました。これらについてはまたちょくちょくそれ関連の本
のレビューと合わせながら綴っていこうと思います。
ただ一つ伝えたいのは、コンサルで問題発見を行うといった時にも活用されますが
物事、ここでいうと人間の本質を見極めるということです。
その人間本当にいい奴なのか、あるいはいい奴ぶって時に裏切るリスクを秘めている
かどうかなど、当人が自分以外の人間と関わっている時に本質は垣間見えます。
まだまだ書き足りないですが話が逸れていきそうなんで次回以降。
予備校(浪人)
はい、浪人しました。
現役時は成績が偏差値55あたり(河合塾模試・私文)の状態で早稲田志望でした。
中学以来の入試だったため、予想以上に緊張・パニクってしたのが敗因…
嘘です、ただの勉強不足です。
それと学校の指定校推薦に依存しすぎたというのがあります。僥倖にめぐり合うのを
期待するだけ無駄でした。
浪人、と決まってからは心機一転。正々堂々真っ向から試験に臨みました。
それでも早慶の壁は打ち破れず、現在の上智大学に落ち着いています。
今は塾講師、ちょっと前まで発達障害を持った方々に対するサポート事業プログラム
を学生団体として参加していました。
受験生に対する勉強方法、試験までのメンタルの保ち方等の情報も時間が許す限り載
っけていきたいと考えています。
ここまで大枠の生い立ちについて紹介してきましたが、結局今迷子な理由が未だに掴
みきれていません。
おそらくその"答え"が見つかる=ブログのゴール
だと考えています。
今日も読んでくれてありがとうございました。
もっとブログについて学び、さらに面白く・役立つ記事を書いていきたいです。